櫛井征四郎「私の世界史教育回顧録」page1

私の世界史教育回顧録

北海道高等学校世界史研究会

第8代会長 櫛 井 征四郎

1 はじめに

私は世界史研究会の二十周年記念誌で「国際化時代の世界史教育」と題する研究発表を、三十周年記念誌では「世界史教育の現場から」と題して、寄稿させて頂いた。

今回は、過去約50年にわたる私の世界史あるいは世界史教育との関わりを、体験に基づいて断片的に述べることにしたい。なお、注は[ ]で示した。

2 高校生の頃(昭和34〜37年・1959〜1962年)

(1)50年前の世界史教育

社会科の1科目として「世界史」が登場したのは昭和29年(1949年)で、東洋史と西洋史を統合して便宜的に生み出された経緯はだいぶ後で知った。[1]

私が高校生の頃の社会科のカリキュラムは学習指導要領の第2次改訂(1955年)によるもので、1年生は学年指定で「社会」(3〜5単位)を、2〜3年生は「人文地理」「世界史」「日本史」(各3〜5単位)から2科目を履修するものであった。[2]

私は2年生で世界史を、3年生で日本史を習ったが、地理は習わなかった。

世界史を社会科の中心に位置づけると、歴史の舞台を学べる地理を1年生の学年指定で履修させる学習指導要領の第3次改訂(1960年)の方が優れていると思うが、そうした考えは教員になって、実際に世界史を教えるようになってからのものである。

私の習った世界史は4単位で、教科書は山川出版社のもので、副教材はなかった。

授業はもっぱら講義式で、その内容は当時の趨勢ではあるが、ヨーロッパ史と中国史を中心とし、進度は19世紀前半迄で、残りは自学自習でやらざるを得なかった。

現在の教科書や授業と大きく違う点は、例えば人類の起源はジャワ猿人や北京原人からであり、アフリカや東南アジア、あるいはラテンアメリカの歴史学習がほとんど欠落していたことである。当時の学会においても既に「ヨーロッパ中心史観からの脱却」が叫ばれていたようだが、それが実践されるまでには多くの年月を要した。

(2)なぜ世界史が好きになったか

私には高校生以前から世界史を好きになる素地があった。子供の頃からアレクサンダー大王などの英雄伝を読んで偉人にあこがれ、シャーロック=ホームズなどの探偵小説を読んで、あれやこれや推理することが好きだった。また、映画が大好きで、外国映画を観て未知の世界に遊び、歴史上の様々な人物や事件に出会えるのはわくわくすることであった。こうして、高校で初めて習う世界史の学習を意欲的にやることができた。

特に課題が出ているわけでもないのに、留萌高校の図書室に通って世界史関係の事柄をあれこれ調べ、独自にノートも作った。世界史に偏った勉強と外国映画の見過ぎで、他教科の学習が疎かになってしまったほどである。

当時、中央公論社から「小説よりも面白い」というキャッチフレーズの『世界の歴史』(昭和35年11月発行開始、全17巻)が出始め、世界史の三村清先生からお借りして読んだが、他にも、シュリーマンの『古代への情熱』や、鳥山喜一の『黄河の水』などを読んだ記憶がある。私にとって世界史は「知らないことを知る」楽しみに溢れていた。

(3)世界史の試験と基本事項

当時は3学期制で定期考査は年5回あった。後に教員になって試験を作る立場になってみると、百点満点で平均55〜65点位が取れる試験問題が適正と考えるようになったが、当時の先生方は難問を作るのがお好きだったようで、教科によっては平均が30点前後ということもあり、難しさにおいては世界史も例外ではなかった。

世界史の場合は単語の穴埋め、語群からの選択、文章問題などの形式が一般的であったが、例えば「ローマの五賢帝の名前をすべて書け」という細かい出題もあった。昨年全国高等学校クイズ選手権をテレビで見ていたら、たまたま決勝戦で優勝を決めた最後の問題がこれと同じで、思わず高校生の頃の試験を思い出した。

世界史は暗記科目だと誤解され、受験でも敬遠されることがあるが、残念である。

陰山英男氏が『本当の学力をつける本』(2002年 文藝春秋社)で指摘しているように「読み・書き・計算」の基礎がなければ、その先の「自ら考え、学ぶ」ような発展的学習は期待できない。世界史も同様で、年号や人名などを必要最低限度覚えるべきであり歴史的思考力なるものも、そこから育まれる。何が基本事項かを検討することは重要な課題であり、私はかつてこれをテーマにして雑誌に寄稿したことがある。[3]

 

当時、国立大学は1期校、2期校があり、私は東北大学と弘前大学を受験した。

国立文系は試験科目として社会科は2科目が課せられたが、私は世界史と日本史を選択した。受験勉強は教科書と数種の参考書を用いて行ない、最終的には秀村欣二・木村尚三郎編、『世界史1000題』(学生社)を7割ほど解いて備えた。大学ごとに出題は異なり、国公立より私立大学の方が難問・奇問が多かったが、昭和54年に登場したマークシート方式の共通一次試験に比べると、間違いなく難しかった。 →次ページへ


[1]戦後の歴史学と世界史教育の変遷については、例えば次の文献を参照されたい。

① 遠山茂樹著、『戦後の歴史学と歴史意識』 1968年 岩波書店

③ 成瀬 治著、『世界史の意識と理論』 1977年 岩波書店

④ 安田元久監修、『歴史教育と歴史学』 1991年 山川出版社

⑤ 樺山紘一、木下康彦、遠藤紳一郎編、『世界史へ』 1998年 山川出版社

⑥ 福井憲彦著、『歴史学の現在』 2001年 放送大学教育振興会

[2]社会科(地理歴史科)の改訂の変遷と内容については、次の論文を参照のこと。

有田嘉伸、「学習指導要領における社会科世界史の変遷」(星村平和先生退官記念論文集・社会系教科教育研究会編、『社会系教科教育の理論と実践』 1995年 清水書院 所収)

[3]「私の<基本事項>一覧表」(『月刊歴史教育』 1984年5月号 東京法令出版)