櫛井征四郎「私の世界史教育回顧録」page5

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6 芦別高校の頃(昭和57〜62年・1982〜1987年)

(1)社会科のチームワーク

教育の成果は、言うまでもなく個人の力量のみならず、教職員の共通理解と協働体制の如何に左右される。その点で、芦別高校社会科のチームワークは素晴らしかった。

例えば、昭和53年の学習指導要領第5次改訂(昭和57年実施)で必修の「現代社会」が新たにスタートした頃、教科会議で社会科の全員が必ず一度は「現代社会」を担当しようということが確認され、以後そのとおり実行された。

高校の場合、免許は社会科であっても、それぞれ専門科目に分かれており、他の科目をあまり持ちたがらない。まして、新しい科目となると二の足を踏む可能性がある。

しかし、芦高社会科はベテランも若手も研修意欲が旺盛で、新しい科目に積極果敢に取り組んだ。また、何事にも一生懸命で、「仕事も遊びも」一緒にやった。そうしたことが教科指導だけではなく、生徒指導をはじめとした教育活動に良い影響を与えた。

(2)授業研究と「風土と歴史を知ろう会」

校内研修や授業研究も盛んで、全教科とも教務と連携しながら、年に一度は授業公開週間を設けお互いに授業を見せ合った。その際、テーマを決めて取り組んだ。例えば、「評価・評定における定期考査と平常点の割合」「平常点の内容」「視聴覚教材の活用方法」「望ましい教育課程の在り方」などである。公開授業の後には合評会を行ない、その内容は学習指導案と共に研究紀要に掲載した。いわゆるP・D・S(Plan・Do・See, 計画→実行→評価)が、常に行なわれていたのである。

私自身の授業研究としては、作業プリント学習、課題発表学習、夏休み課題レポートの在り方、小テストの作成と活用、発問の工夫、実物教材の活用、板書の工夫と改善などがあった。

例えば、板書は授業の基本であるが、生徒にノートさせるためには、何をどう書くかどの位の分量にするかは常に悩みの種である。私は板書を工夫すると共に「板書のイラスト化」を研究テーマとした。これは簡潔に書ける図形・地図・表などを板書に積極的に取り入れイメージを広げるようとする工夫の一つであった。

 

また、社会科独自の研修会として「風土と歴史を知ろう会」があった。

これは「現代社会」の登場で、科目の枠を越えていわば学際的に勉強して行く必要性が生じたことが発足の一つの契機であった。活動内容は、一人一人が自分の出身地や勤務経験地を中心に、各県や地域の風土や歴史を研究して発表し、その後巡検も行なうというものであった。

産炭地芦別市内の巡検から始まり、道南・道東、長野県と岩手県への研修旅行、さらには「風土と歴史を知ろう」の海外編として、台湾・香港、タイ旅行まで実行した。

これらは夏期と冬期の長期休業期間を利用し、「開かれた社会科」の精神で、他教科にも参加を呼びかけ、家族の参加も歓迎した。特に海外旅行は資金の積み立てが不可欠で長期的な計画が必要であったが、それぞれが楽しみながら取り組んだ。ただの物見遊山に終わることなく、研修の一環として位置づけ、記録を残した。[15]

(3)教材開発と視聴覚教育

良い授業をするには教材研究が欠かせないし、不断の研修(研究と修養)は教員の生命といえる。しかし、教材研究だけではなく、教材開発も研修には不可欠である。

たしか、芦別高校時代に東京での全歴研大会に出席した時のことであった。懇親会で当時文部省の世界史教科調査官であった星村平和先生に偶然お会いし、生徒に生き生きとした世界史像を理解させるためには、新しい「教材開発」が不可欠であることを教わった。

この言葉は非常に新鮮な響きがあり、私に大きなインパクトを与え、研修を進める上で重要なキーワードとなった。後に「教材開発」という言葉を一つのテーマとして、北海道の高教研でも発表させて頂いた。[16]

 

視聴覚教材は授業の中でどう活用するかが難しい。

私は従来、8ミリやビデオの上映、スライド写真の映写などを特別の時だけ、視聴覚教室で生徒に見せていた。1年間に1、2回で、普通教室からの移動、準備の大変さ、進度の遅れなどがネックとなって、簡単には実践できなかった。そのため、教科書会社の作った写真パネルや美術全集、歴史遺跡の写真、絵葉書などの提示回覧に留まった。時間に余裕があれば、歴史スペクタクル映画を生徒に見せたかったが、できなかった。

同僚の出口敬智先生は、時折音楽のテープを普通教室に持ち込んで生徒に聴かせていたが、世界史の臨場感を感じさせるための優れた教材開発の例と言えた。また、日本史の長坂文杜先生のように、視聴覚教室でビデオを見せる場合でも必要な部分を厳選して10分程度見せ、後は板書して講義するなど、よく工夫された授業をする先生もいた。

今はDVDやCD、MDもあり、それらはテープと違ってチャプター毎に区切られ、必要な部分を検索してピックアップして使えるし、操作も極めて簡単になってきた。視聴覚教材を使うことで世界史の理解が深まり、授業も立体化した楽しいものにできる。

願わくば、すべての普通教室に視聴覚機器を完備し、使い勝手をよくしてほしいものであるが、それはいつの日のことであろうか。 →次のページへ


[15]芦別高校社会科、『昭和58年度社会科研修のまとめ』 1983年 この冊子はB5判、約100ページで社会科出身の中土井昭校長の配慮があった。当時社会科のスタッフは6名(松本昭三、佐藤通、押野勲、長坂、櫛井、出口)だった。

[16]研究発表「19世紀世界史の教材開発について」 1984年 於 第21回北海道高等学校教育研究会 社会部会世界史分科会