櫛井征四郎「私の世界史教育回顧録」page6

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7 指導主事の頃(昭和63〜平成6年・1988〜1994年)

(1)指導主事の仕事

芦別高校にはまだ居たかったが、生徒減による教員定数削減で異動せざるを得ず、網走南ケ丘に転出した。ここでの勤務はたった1年で、そこから指導主事になった。

北海道教育委員会(道教委)は本庁の下に出先機関として14の教育局があり、教育行政を担当するため義務教育と高校教育担当の指導主事を若干名配置している。

私は日高、網走、根室の3教育局を2年ごと計6年間勤務した。指導主事の仕事の詳細は省くが、中でも「学校教育指導」が重要な部分を占める。第1次訪問では管内のすべての高校を訪問し、学校の状況について説明を受け、領域分野ごとに資料を提供し、質問があれば、それにも答える。また、第2次訪問は教科ごとの要請を受けて学校を訪問し、先生方の授業を見て、授業改善のために必要なアドバイスをしたり、資料を提供したりする。さらに、北海道高等学校世界史研究会や高教研世界史部会、各管内の教科研究会における講話や助言も行なった。[17]

各教科担当の指導主事は各教育局ごとに居るわけではないので、道北・道東・道南・道央と4つに分担し、第2次訪問は他の管内へも出かける。指導主事は各学校の優れた実践や優秀な先生を発掘し、全道に広く紹介する役割も担っている。

この他、道教委や各教育局で主催する初任者研修をはじめとする各種研修会の企画・運営と助言、教育課程の編成や入選業務に関すること、調査物の取りまとめなど、多忙で多様な仕事がある。

(2)地理歴史科の誕生と教育課程研究協議会

平成元年に学習指導要領の第6次改訂が行われ、平成6年度から学年進行で実施されることとなった。

この改訂で社会科が「地理歴史科」と「公民科」の2教科に再編成され、国際化に対応した態度・能力を育成するため、世界史が初めて単独で必修となり、世界史はAとBの科目になった。

 

新学習指導要領が出ると、道教委は各学校や教員に対し、その趣旨を徹底し、内容をを理解してもらって、新しい教育課程を編成できるようにするため、毎年研修会を開いている。完全実施の前は「教育課程研究協議会」、実施後は「教育課程研究集会」として呼称を区別するが、指導主事は『高等学校教育課程編成・実施の手引き』を分担して執筆し、研修会の運営や助言など多様な役割を担うことになる。

教育課程研究協議会で当初は予想したとおり、「2教科にしたのは社会科の解体ではないか」「なぜ世界史が必修なのか」など、先生方の反対意見や疑問もあった。

私は社会科解体や世界史必修への批判に対して、例えば次のように答えた。

① 社会科を2分割したのはむしろ「社会科の拡大・発展」であり、戦後40年の社会科を否定するものではなく、従来どおり「平和と民主主義」を目指していること。

② 社会科は従来も総合と分化を繰り返してきたし、総合性を失うものではないこと。

③ 科目の系統性・専門性を強化するのであって、地歴科と公民科に別れるが、けんか別れしたわけではなく、これからますます両者の連携が必要であること。

④ 国際化へ対応し、国際理解(異文化理解)を深めるためには、中学校までは日本史中心で、本格的に教えられなかった世界史の必修化は時代の要請であること。

 

戦後ずっと定着していた社会科を、地歴科と公民科に分割した経緯や賛否については拙稿「国際化時代の世界史教育」で考察したが、社会科の名称をそのままにして、同じ教科の中に複数の必修科目を設けることはそもそも無理だったのだろうかと、今でもやや疑問に思う。

科目の専門性を尊重する考え方は分かるが、世界史専門の教員が世界史だけ教えられる学校は少ない。地歴と公民にまたがって教え、複数の科目担当を経験することでむしろ世界史の見方が深まり、教科の連携も強まる効果があるのではなかろうか。教科を細分化し、科目至上主義に陥ってしまわぬようにしたいものである。

(3)世界史Aと世界史B

昭和35年の改訂で世界史A(標準3単位)と世界史B(標準4単位)が登場し、2年生の学年指定でAかBを選択履修することとなった。Aはいわば「要説」で、Bは「詳説」と言えるものであるが、でき上がった教科書を比較検討すると「要説」は「詳説」を単純にダイジェストしたもので独自の工夫がなく、教科書が薄くなって、かえって世界史の流れが分かりづらくなった。教科書は本来読んでおもしろいものではないが、「要説」はそれに拍車をかけた。

教育現場での不人気もあったせいか、昭和45年の改訂ではA・Bの区別がなくなり、標準3単位となった(昭和53年改訂では4単位)。さらに平成元年の改訂では約20年ぶりに世界史A(標準2単位)と世界史B(標準4単位)が再び登場した。

今度は世界史Aが近現代を中心に学習させるもので、通史的構成を大幅に変え、いわば毎時間が主題学習のような考え方で、各教科書会社が新しい着眼点を競い、興味深い教科書も多く出版された。世界史Bは従来の世界史を発展的に継承した通史で、ここ20〜30年の歴史学の成果を積極的に取り入れている。その後、平成11年に学習指導要領の第7次の改訂が行なわれたが、A・Bはそのまま残った。

私は新しい世界史AとBの年間指導計画について小論を書いたことがある。[18] →次のページへ


[17]世界史研究会が取り組んだ、『歴史地図によるトレーニングワーク世界史』1990年 山川出版 に一部執筆した。

また、例えば根室管内高校社会科教育研究大会で行なった講話は、「授業は1回限りの真剣勝負」と題し、平成5年11月30日付「北海道通信」に掲載された。

[18]拙稿「世界史A及びBの年間指導計画について—新しい世界史教育をめざして—」(星村平和先生退官記念論文集『社会系教科教育の理論と実践』 1995年 清水書院)