櫛井征四郎「私の世界史教育回顧録」page7

←前のページへ

8 学校に戻って、その後(平成6〜20年・1994〜2008年)

(1)教頭・校長の経験、そして退職

平成6〜9年は札幌南高校、平成9〜11年は留萌高校で教頭を勤めた。この間、世界史の授業を持った。教頭としての仕事が多忙で、新しい工夫もほとんどでできなかったが、生徒と共に世界史を学べることは幸せであった。両校を比較した授業実践の報告は「世界史教育の現場から」と題し、世界史研究会の『三十周年記念誌』に寄稿した。

平成11年〜14年は名寄恵陵高校、平成14年〜16年は旭川東高校の校長を勤めたが、この間、平成12年〜16年は北海道高等学校世界史研究会の会長を勤め、平成16年春に36年間の教職を終え、定年退職した。

現在退職してから5年が経とうとしている。この間、やったことは雑多であるが、まず、ささやかな本棚を整理整頓し、もう使わない本は古本屋へ売った。学生時代に読んだ本や「ツン読」の本を読み直した。単に読み流して忘れる本と、勉強のつもりで要点をメモしながら読む本に区別しているが、読むペースは極めて遅くなった。それでも読みたい本はまだ限りなくあり、例えば、G.Lefebvre,Napoleon の原書などを翻訳してみたい。

(2)エジプト・トルコ旅行から

平成19年6月、家内と団体のツアーで「エジプト・トルコ12日間の旅」に参加した。

観光旅行ではあるが、インパクトの強かったことを、いくつか挙げておく。

これからもお金と体に相談しながら、世界史の舞台を歴訪したいと思っている。

① トルコでサラダの水分かミネラル・ウォーターが原因で、ひどい下痢となった。

② カイロで45度、エフェソスで42度の猛暑を経験した。行く季節を間違えた。

③ 夢にまで見たサッカラーの階段ピラミッドを見学し、ギザのクフ王のピラミッドとダハシュールの「赤のピラミッド」は内部を見学できた。後者はひどいアンモニア臭がこもっていたが、やはり、匂いは実際に体験してみなければ分からない。

⑤ トロヤの遺跡に立ち、シュリーマンとトロヤ戦争に思いを馳せた。

⑥ 「世界の七不思議」の一つ、アルテミス神殿があったエフェソスの遺跡の迫力。

⑦ カッパドキアの奇観と、ヒッタイト時代に遡るカイマクルの地下都市の不思議。

⑧ 壮麗なトプカプ宮殿と聖ソフィア寺院、モスクの数々、ボスポラス海峡クルーズ。

⑨ エジプト考古学博物館とツタンカーメンの110.4Kgの純金の棺やマスクの驚き。

(3)旭川歯科学院専門学校における講義体験

平成20年4〜6月、旭川歯科学院で90分の講義を8回経験する機会があった。

科目名は「教育学」で、どんなことを話しても良いと言われたが、私なりにテーマを真剣に考えた。「人類史の転換期」「戦争はなぜ起きるか」「軍事技術と兵器の変遷」「世界史上の戦争を探る」「病気と医療の歴史」「憲法について考える」「平和をつくり出す」「新教育基本法」「生徒指導上の課題」「日本の課題を考えよう」など盛り沢山になってしまった。今年は更に工夫してやってみたいが、わずか8回とは言え若い人たちと一緒に世界史を学べるのは嬉しいことである。

(4)「生活史」の流行について考える

アナール学派の社会史、心性史などが流行するようなってから、衣食住など生活にかかわる歴史の本が書店にも目立つようになった。

例えば、胡椒、紅茶とコーヒー、砂糖、ジャガイモ、絹・毛・綿織物、伝染病や武器など、歴史を大きく動かした「もの」をとおして学ぶ方法は従来もあり、有効だった。

しかし、最近は興味本位のマニアックで奇抜な本も書かれている。

世界史の教員は氾濫する本やテーマの中で、何が世界史の教材、テーマとしてふさわしいかを見極める確かな目を持つことが常に求められている。

9 おわりに

人間の一生に終わりがあるように、国家や民族あるいは文明にも興亡や盛衰がある。例えば、かつて「ローマは永遠である」と信じられたが、やはり滅びてしまった。

E.ギボンが『ローマ帝国衰亡史』全10冊(岩波文庫)を書き、塩野七生氏が超大作の『ローマ人の物語』全15冊(1992〜2006年 新潮社)で再現したように、である。

また、20世紀最大の歴史家と言われたA.トインビーも『図説 歴史の研究』全3冊(1976年 学研)などで諸文明の興亡を書き、現代文明に警鐘を鳴らした。

「歴史は繰り返さない」とか、単線的なものではないと分かっているつもりであるが一体人類の歴史はどこへ向かっているのだろうか。「人間の歴史は自由に向かってのプロセスである」(ブライスの言葉)と信じ、フランス革命の3つのスローガンである「自由・平等・博愛」が実現すると信じたいが、それはいつのことであろうか。

 

かつて、マルクスはヘーゲルの弁証法を援用して歴史の発展段階説を唱え、階級闘争によって資本主義から社会主義(共産主義)に移行し、いずれは階級のない時代が来ると説いた。その思想が、ロシア革命とソ連邦の成立を導いたが、周知のとおり、わずか70年余でソヴィエト型の社会主義は終焉を迎えた。

しかし、ソヴィエト型の社会主義体制が崩壊したからと言って、現代の資本主義が良いというわけでもない。それは昨今の世界的金融危機を見れば自明のことである。

 

これからの時代を導くような、新しい世界史像は現れないものであろうか。

新しい『岩波講座 世界歴史』全28巻・別巻1(1998〜2000年 岩波書店)では、従来の古代・中世・近代・現代というような時代区分をやめてしまった。[19]

それなりの理由は述べられてはいるものの、私には時代区分による世界史像の探究をあきらめたようにも思える。世界史をダイナミックにとらえて教えるには、条件付きであっても時代区分がある方が望ましいし、世界史教育には依然必要である。

歴史家にとってそれが困難な道であっても、是非探究してほしいものである。

 

世界史教育の成果を上げるためには、さまざまな分野で従来にも増して「高大連携」が求められていると感じているが、それは現職の先生方の課題意識と奮闘に期待するところである。

回顧録トップへ戻る


[19]岸本美緒、「時代区分論」(岩波講座世界歴史1『世界史へのアプローチ』 1998年 所収)

 

2009.2.17 成稿